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下御霊神社

下御霊神社

革堂のすぐ北、寺町通に面して建つ表門をくぐると、荘厳な境内には築地塀がめぐらされ、静かに社殿が鎮座している。

平安初期の839(承和6)年御霊を静めるため出雲路に置かれた社のひとつ。御霊(上御霊)神社に対して下御霊神社と呼ばれる。まつられているのは、政争に敗れたり謀反が発覚して罪に問われて憤死した人々の御霊である。
藤原仲成の陰謀の犠牲となり、河原寺に幽閉され自殺した恒武天皇の第3皇子伊予親王とその母藤原吉子、藤原種継の暗殺事件に加わったとして幽閉された恒武天皇の弟早良親王、承知の変が発覚し伊豆に流された橘逸勢などの御霊がまつられている。

もとは一条の北、寺町の東付近にあったと伝わるが、中世に新町出水(現存の府庁付近)へ移り、1590(天正8)年、豊臣秀吉の命により現在の場所に移った。江戸時代以降は皇居の産土神として朝廷の篤い信仰を受け、歴代天皇の祈願文が納められた。社殿造営に際しては、御所の建物を贈ることが多かったという。

本殿は天明の大火後、1790(寛政2)年に再建されたもの。宮中の賢所御殿を移建したものといわれ、表門も同様に仮皇居の建礼門を移したものと伝えられる。また社務所はかつての神官の邸宅を利用した珍しい建築で貴重な遺構である。
当社の祭礼は御霊際と呼ばれ、5月18日に行われる。神輿などの祭具類は歴代天皇の寄付といわれており、その巡幸は京都の多くの祭礼の中でも圧巻である。